僕は毎年おなじ郷里へ帰るのもおもしろくないので、親しい友人と二人づれで日光の中禅寺湖畔でひと夏を
送ることにした。
そして、私の家庭はかなり平和な日を
送ることができました。
「正しく生きる」と云へば、非常にむつかしい議論になるが、要するに、分に応じて自己の仕事を選び、社会の一員として悔いのない生活を
送ることである。
しかし、藩主忠利侯は在府中である上に、みだりに援兵を
送ることは、武家法度の固く禁ずるところであった。
監獄にいるお前に「お守り」を
送ることをするようなお前の母は、冬がくると(この寒い冬なのに)家中のものに、二枚の蒲団を一枚にさせ、厚い蒲団を薄い蒲団にさせた。
文学といふ女神は、或は老嬢にて世を
送ることあるも、卑野なる神に配することを肯んぜざるべければなり。
しかし、母や妻である女が、純潔に生涯を
送ることは最も確実である。
處が此アルゼリヤ國の中でブリダアといふ市府の人は分ても怠惰ることが好き、道樂をして日を
送ることが好きといふ次第である。
何にも書くことがなくなると、端書に二字か三字の熟語の様なものを書いて
送ることもあった。