戦争に至る
道程、謀略も内乱も一切架空で、私自身が到達しうる人間の限界を示しているにすぎないだろう。
鮎が幾十里といふ
道程を、溯上しながら水垢をなめた跡を「上りなめ」又は「はたなめ」といつてゐる。
さうした神事に使はれる偶人が、次第に遊戯化して来る
道程には、きつと、此神事演劇が梯渡しをしてゐるに違ひない。
伯林から一時間で通える
道程なのだから、住民の多くは伯林に職を持つ中小の勤人であろう。
而して安定を得るための
道程にあつて物と物とは相剋してゐる。
ところで、かういふ「新劇」が、だんだん成長して、「演劇」としての完全な魅力を発揮すべきですが、日本では、悲しいかな、さういふ
道程を踏んでゐません。
こんな、少年時代の出来心で選んだ生涯の
道程を、今となっては是が非でも、遂行しなければならぬ羽目にいる俺を、つくづく情なく思う。
鮎が幾十里という
道程を、溯上しながら水垢をなめた跡を『上りなめ』又は『はたなめ』といっている。
のみならず大抵は動機に至る
道程を示してゐるだけである。
従って、そう云う事に依って歩いた
道程を計る訳にも行かなかった。