それ程この
青山喬介と言う男は、私にとって犯し難い魅力を持っていたのである。
すさのをのみことが、
青山を枯山なす迄慕ひ歎き、いなひのみことが、波の穂を踏んで渡られた「妣が国」は、われ/\の祖たちの恋慕した魂のふる郷であつたのであらう。
又夏目先生の御葬式の時、
青山斎場の門前の天幕に、受附を勤めし事ありしが、霜降の外套に中折帽をかぶりし人、わが前へ名刺をさし出したり。
もつともその前の芝、今里の家と、
青山南町の家とには無かつたが、その前にゐた
青山隠田の家には矢張り蔦があつた。
その日の八ツ半(午後三時)頃に
青山六道の辻にさしかかりました。
そうすると、昼の八ツ(午後二時)過ぎに、
青山の権太原……今はいつの間にか権田原という字に変っているようです……の武家屋敷から火事が始まったんです。
よし原に羅生門河岸の名はあるが、
青山にも羅生門が出来たのである。
青山の斎場へ行ったら、靄がまったく晴れて、葉のない桜のこずえにもう朝日がさしていた。
昌黎信とせず、審に其の仔細を詰れば、韓湘高らかに歌つて曰く、
青山雲水の窟、此の地是れ我が家。