枯淡の
風格、秋声の「縮図」の如き、作文技法の典型以外に意味はない。
つまり実務家の中でも一かどの老練家という
風格を語っていたのである。
その時は糸織の羽織か何か著て、髪を油で光らせて、甚大家らしい
風格を備えていた。
「家」の祭りは国の祭りに通じ、家の名誉は国の名誉につながり、家の
風格は国風の流れに添ひ、家の掟は、臣民の道にもとづくものでなければなりません。
だから露柴には我々にない、どこかいなせな
風格があった。
ミレーのものは貴族でも其間に質朴なる百姓の面影を宿し、バンダイクが描くと、百姓でも貴族の
風格が備はる。
毛澤東氏の新民主主義も、恐らくソ連のごとき專制には墮せず、東洋的
風格をもつ優秀なる思想を完成するに相違いない。