過去の日には明治屋か亀屋かで買つて来て、菓子とは違ふ
風雅なしづかな甘みを愉しく思つたものである。
とはいえ、思いあまったアゲクのことで、
風雅の道に欠けるところがあっても責めるわけにいかない性質のものだ。
死神につかれたギリギリのところで、こういう慾念を起すのはアッパレな根性で、
風雅の道にもかなっている。
歌垣の歌の、古詞何々振を繰り返す様になつて行く一方に、
風雅な遊戯・宴遊の方便に用ゐられた側が、次第に、文学態度の意識を生じて来た。
風雅で固めた庭の上を、狐狸の類に荒らされるとは、さてさて不覚の沙汰ではある」
粋様の系統を討ぬれば、平安朝の
風雅之れが遠祖なり。
さのみ廣からねど、
風雅なる家の作りにて、上の方に床の間、それに近松門左衞門の畫像の一軸をかけてあり。
と云って
風雅がって汽車の線路の傍をポクポク歩くなんぞという事は、ヒネクレ過ぎて狂気じみて居ますから、とても出来る事では有りません。