何よりも、
魂と、情熱の尤もらしい顔つきが、せつなく、馬鹿々々しくて仕方がないのだ。
かうした不時の急場には、その荒れ果てた
魂と正しい躾と妙な調和をかもしだして、五十がらみの老成した男のやうなたのもしさすら感じさせるのであつた。
現代の作家では、弱々しいセン光の身もだえに似たものであるが太宰がアドルフと同じように百何年後に千万人の
魂と結合する程度に愛読されるだろう。
但、琉球のまぶいは、
魂とは別のものと考へられて居る。
第二、
魂と肉身との交渉、並びにかげのわづらひの件。
しかし彼が持っている円滑で自在な
魂は、かならずしも、人生の伴侶として特に自分を指名する切実性を持つ
魂とは受取れなくなった。
といっておお可哀そうに、などいって抱き上げることは、私の潜在せる大和
魂という奴がどうしても承知してくれないのだ。
西歐の文人と比較するならば、そこにフローベルの
魂との共感が認められるといつてよい。
人間の五官は、霊
魂と自然との中間に立てる交渉器なり。