それから後、
シェイクスピイヤが何故に古典劇作家とされ、イプセンが近代劇作家とされるかを考へて見るがいい。
これに反して、西洋劇で云へば
シェイクスピイヤのある人物、例へばハムレットの如きは、最早「感性」だけでは眼の前に浮んで来ない。
彼は、俳優研究所を起し、イプセンの「人形の家」を上演し、
シェイクスピヤの翻訳演出を試みた。
忌憚なくいへば、現代において
シェイクスピイヤ劇の真の魅力は、これを劇場に求めることは困難になりつつある。
仏蘭西の文学者で
シェイクスピヤを読んだのは、先づ彼が初めてだといつてよく、従つて、仏蘭西に、隣国が生んだこの大劇作家の名が伝はつたのもそれから後である。
しかし、一方、彼は、ロマン・ロオランの所謂「民衆の為めの芸術」に食指を動かし、
シェイクスピヤの自由なフアンテジイにも心を惹かれてゐるらしく思はれる。
シェイクスピイヤの胸像が黒い蔦の葉の間からのぞいてゐる。
ミュッセは、最も真摯なる
シェイクスピイヤ党であつた。
シェイクスピイヤ、モリエール、ゲエテ、ユゴオ、みな然りである。