然しかういふ特殊な畸形児はせゐぜゐ四五段ぐらゐでとまるやうで、名人
上手となるほどの人は他の道についても凡庸ならぬ一家の識見があるやうである。
大小二十に余るお面を、棚に並べておいて、其を
上手と称する当役その他の人々が、てんでに新しく、胡粉や、丹で彩色する事であつた。
好きこそ物の
上手とやらで、自分も他の学課の中画では同級生の中自分に及ぶものがない。
○さま/″\なる世に在りて、いづれを
上手と定めんは、いと難し。
世間から
上手といわるる書家の書にあり勝な、作り線であるかに見ゆるものである。
三ヶ津の総芸頭とまで、讃えられた坂田藤十郎は傾城買の
上手として、やつしの名人としては天下無敵の名を擅にしていた。
翁曰、これ卑しき心より我
上手なるを知られんと我を忘れたる名聞より出る事也。
好きこそ物の
上手とやらで、自分も他の學課の中畫では同級生の中自分に及ぶものがない。
凡そ当今美術とか称えまする書画彫刻蒔絵などに
上手というは昔から随分沢山ありますが、名人という者はまことに稀なものでございます。
この
上手というのは、正当な利益をもたらすすべてのつぼを、それぞれちゃんと知り抜いているといった、技の完全な精通を意味するのである。