でも、ぐずぐずしているうちに政枝の手首から多量の血が流れ出て
仕舞う。
——実学も突き詰めてみると、幻の無限に入って
仕舞う。
ひとくちに慈悲ぶかい人といえば、誰にでもものを遣る人、誰のいうことをも直ぐ聞き入れてやる人、何事も他人の為に辞せない人、こう極めて
仕舞うのが普通でしょう。
お湯からあがって、身
仕舞いしているところへ、あのうす暗い庭さきからふうわりとのぞいて、また向うへ——」
半途でそれを救うとしたならば、その人間は終に行く所まで行かずして
仕舞う。
ですから左様いう人が旅行をするのは何の事は無い、「御茶壺」になって
仕舞うようなものですテ。