なるほど、私だつて
作歌の時にんでなく、むを書く位の事はよく知つてゐたのに、なぜそんな間抜けな事をきいたものか、うつかりものがすつかり恐縮した。
この長歌で見ると、秘かに通つてゐたやうなことを歌つてゐるが、此は過去を追懐して恋愛初期の事を咏んだ、
作歌の一つの手段であつたのかも知れない。
そして此時は、私はインスピレーションを感じたと云つてもいいやうに、
作歌に驅り立てられて、自分で滿足出來る歌を得る事が出來た。
かういふ
作歌態度は態度としてはいかがともおもふが、國學の思想を説くにあたつては是非必要なことであつた。
この歌も愛國歌といふ字面にこだはればどうかと思ふのであるが、作者の
作歌動機をつきつめて行けば愛國の心に到るのであつて、これの選に入つたのも嬉しかつた。
これは前にも書いたやうに
作歌上の素人談義たるのみならず、古木君を前にして書いたもの故、読者も余り当てにせずに一読過されんことを希望してゐる。
ついで大正六年から十二年まで雜誌「アララギ」(別項)の同人として、
作歌及び評論を發表し、雜誌「日光」の出づるやその同人となつた。