同君は東京帝大の出身であり、当時はまだ纏つた
著述も出されて居ず、発表された論文も極めて少く、余り人に知られては居なかつた。
原本は四百二十巻の大作だそうですが、その大部分は散佚して、今伝わるものは五十巻、それでもなかなかの大
著述というべきでしょう。
元来
著述を好む人で、田畑へ耕作に出るときにも必ず筆や硯をたずさえて行って、暇があれば樹の下へ行って記録していたそうです。
しかれどもこれみな反訳にあらざれば雑説のみ、較々
著述の体を具えたるものは本篇をもってはじめてとなす。
問、足下は尚ほ何時迄も
著述に従事せれんとする乎(基督信徒に他人の仕事を気にする者多し)。
されど多士済々たる日本文壇、未この人が等身の
著述に一言の紹介すら加へたるもの無し。
さて孔子が志を政界に絶つて、身後の用意に着手したが、その用意とは、畢竟
著述と弟子養成との二途に過ぎぬ。
然れども子が斯道に心を潜むるの深き、静養の間更に名人競の内として木匠長二の伝を作り、自ら筆を採りて平易なる言文一致体に
著述し、以て門弟子修業の資と為さんとす。
終りに臨んで私はこの小
著述をその最初の出版者たる故中村弥左衛門君に献じます。