彼の昔の
評論、志賀直哉論をはじめ他の作家論など、今読み返してみると、ずゐぶんいゝ加減だと思はれるものが多い。
小説だと、まだ読者には分るけれども、
評論となると却々分らないもので、たとへばポオの「ユウレカ」が日本に現れても、読者の大部分は相手にしないに相違ない。
あの人が野球
評論を書き出したんだが、実に思想が新しく、大胆で、これまで日本になかったものを持っている。
評論や記事などを書く場合にだけしか言葉というものは役に立たないものだと思いました。
もし又君の為に然らずとせんか、かの近来の赤大根は君の小説に感奮し、君の
評論に蹶起したる新鋭気鋭の青年にあらずや。
壺や皿や古画等を愛玩して時間が余れば、昔の文学者や画家の
評論も試みたいし、盛んに他の人と論戦もやつて見たいと思つてゐる。
小説も募集されてゐるし詩歌はもとより
評論、隨筆すべて文學に關して深切な指導をしてゐた明るい快い文學的の雜誌であつた。
ついで大正六年から十二年まで雜誌「アララギ」(別項)の同人として、作歌及び
評論を發表し、雜誌「日光」の出づるやその同人となつた。