終りの一枚がどう
書き直しても気に入らなかったのだ。
其で先生にしてみれば、時間さへあれば、当然
書き直してゐられるはずの部分を、先生よりは暇人である私が、少しばかりの書きつぎをさせて頂くつもりになつたのである。
既に、今までに、半分位、二度までも、口訳文を
書き直して見たが、其結果、祝詞の表現法を余程会得した。
馬琴の『八犬伝』のうちに、犬飼現八が庚申山で山猫の妖怪を射る件がありますが、それはこの『申陽洞記』をそっくり
書き直したものでございます。
しかし私がその遺書のある肝心の部分だけを解り易い現代語に
書き直して発表するということには多少の意味がある意である。
然も二人共可成り永生きの方なので何通
書き直したか判らぬ。
序にお断りして置きますが、此の作は、此の四月某雑誌に発表したものを、更に上演に際して
書き直したものです。
「ハハワルシ、スグカエレ」——彼は始こう書いたが、すぐにまた紙を裂いて、「ハハビョウキ、スグカエレ」と
書き直した。
(図はこれの
書き直しの時の有様でもあらうか、原図は明治四十年ごろの写真である。
私自身も勉強してみたいから、私の考へてゐることを文字に
書き直してみる一つの「勉強」である。