この文を草した後、山崎楽堂氏の「
俳句格調の本義」(詩歌時代所載)を読み、恩を受けたことも少くない。
例の
俳句会ならば無論に欠席するのであるが、それではないとわざわざ断り書きがしてある以上、何かほかに趣向があるのかも知れない。
しかし、父の
俳句と、母の和歌とが、私の家庭における一つの面白い対立であった。
時は日清戦争後で、ホトトギス一派その他の新
俳句勃興の時代であたから、わたしもいささかその心得はある。
ついでに少し後のことだが、私はある時、父から
俳句で叱られた。
さういふ処を何かの拍子で歩いてゐると、「鍋焼だとか「火事」だとかいふ
俳句の季題を思ひ出す。
それから又夏目先生の話に子規は先生の
俳句や漢詩にいつも批評を加へたさうです。
のみならず短歌や
俳句ばかりいつまでも幅を利かせてゐるのは勿論不公平を極めてゐる。
父には一中節、囲碁、盆栽、
俳句などの道楽がありますが、いずれもものになっていそうもありません。
この頃には『ホトトギス』や『国民新聞』の
俳句欄にしきりに作品を投稿していたという。