だから、辛い勤めも皆親のためという俗
句は蝶子に当て嵌らぬ。
それを露柴はずっと前から、家業はほとんど人任せにしたなり、自分は山谷の露路の奥に、
句と書と篆刻とを楽しんでいた。
鳶ノ巣山初陣を自慢の大久保彦左があとにも先にもたった一度詠んだという
句に、
さみだれにかわずのおよぐ戸口かな、という
句があるが、これがさみだれを通り越してつゆになったとなると、かわずが戸口に泳ぐどころのなまやさしいものではない。
下を魚の店と唯いひたるもおのづから
句なりと宣へり。
最後に彼は元禄二年にも——「奥の細道」の旅に登つた時にもかう云ふ
句を作る「したたか者」だつた。
石をはなれてふたたび山道にかかった時、私は「谷水のつきてこがるる紅葉かな」という蕪村の
句を思い出した。
そうしてその人間は、迂余曲折をきわめたしちめんどうな辞
句の間に、やはり人間らしく苦しんだりもがいたりしていた。
( )付きの
句の表記は『尾崎放哉全
句集』に基づく。