たまたま、某雑誌の編輯者が彼の原稿を持つてきて、僕にこの原稿の
反駁を書けといふ。
築地小劇場の観客が「劇場に本来あるべき健康な空気」とは無縁であつたことを指摘し、これに対し千田氏は、左翼劇場時代の舞台と観客席の交感を例にあげて
反駁してゐる。
かういふことを云ふと、すぐに現代は享楽の目的物に事を欠かぬではないかと
反駁して来るものがあるには違ひない。
然し、此の
反駁は更にかういふ
反駁を受けはしませんか。
小山内君の戯曲論を——実は芸術論を、今更
反駁するのは気がひけるが——たゞ、念の為め、これだけのことは云つて置きたい。
水戸はドレゴの説をくつがえすために、色々と事実をあげて
反駁した。
恒太郎の
反駁は、理路整然としていたが、しかし興奮している頼母には、受け入れらるべくもなかった。
(之は変だが、つまり秀頼よりの増封の要求の理由を
反駁したのである)
これを以て、余は愛山君の
反駁に答ふることをせざりし。
故に片鱗を以て全體を見ることは出來ないとの
反駁あらば認めることを躊躇しない。