壮年期以上の人々にとつては新しい感覚に充ちた文章の、
叙景力・抒情力に打たれて見るのも、喜ばしい驚異に行き会ふことになるだらう。
仁徳の菘菜の御製の方は、
叙景の部分は僅かであるが、此方は自然に興味を持つた初期のものと見てもよい程、単純で、印象を強く出して居る。
実用のための文書、書簡、報道記事等も文章であれば、自己の満足を主とする紀行文、抒情
叙景文、論文等も文章である。
たとえば、レマルクの、「その後に来るもの」の中にも、ところ/″\、一幅の絵として見るに足る
叙景があったと記憶します。
前に云つたやうに、「あひびき」の
叙景が昨日歩いてきた郊外の景色の如く思はれたのも、畢竟するにその譯筆の靈活に負ふところが多い。