処が古事記・日本紀などを覗いた方には、直ぐ判ることだが、すくなひこなの命以外にちやんと淡島神があつて、あの住吉明神の
后同様に、海に流されてゐるのである。
正しい意味における
后は、元、他氏の出であつて、其上に、一段尊い王氏の皇
后があつたことの回顧が、必要である。
ある時竜王のお
后が、ふとしたことからたいそう重い病気になりました。
するとある日天羅国の班足王という王さまが狩りの帰りにわたしを見つけて、御殿に連れ帰ってお
后になさいました。
」かどうかわからないけれども此の御方はきっと末には女御
后とも云われる様にも御なりになるだろうと内々、人のうわさをする時などには葵女御等と云って居た。