人間も
四つ五つのこどもの時分には草木のたたずまいを眺めて、あれがおのれに盾突くものと思い、小さい拳を振り上げて争う様子をみせることがある。
お時が家を出たのはけさの
四つ(午前十時)であった。
維康柳吉といい、女房もあり、ことし
四つの子供もある三十一歳の男だったが、逢い初めて三月でもうそんな仲になり、評判立って、一本になった時の旦那をしくじった。
今夜こそと思っていると、朝
四つ刻、黒船の甲板が急に気色ばみ、錨を巻く様子が見えたかと思うと、山のごとき七つの船体が江戸を指して走り始めた。
勿論江木上等兵も、その中に
四つ這いを続けて行った。
僕は
四つ違いの僕の姉と僕の母の枕もとに坐り、二人とも絶えず声を立てて泣いた。
初午に雛市、梅見に天神祭り、二月の行事といえばまずこの
四つです。
自分が
四つの年の暮であったということは、後に母や姉から聞いての記憶であるらしい。
もっと具体的に言えば——ドラフツのゲームで、駒が盤面にキング
四つだけとなった場合を想像してみよう。
動物園の象の足と鼻を切って、胴だけを三つ
四つつみ重ねたらあのくらいになるかもしれない。