第二
回目は肋膜で、京橋の福田病院と赤十字病院に、両方で約五十日ばかりいた。
特にお濠方という番士の備えがあって、この内濠だけが百二十人、十隊に分かれて日に三度ずつ、すなわち暮れ六つに一
回、深夜に一
回、夜あけに一
回。
僕は、その最後の四
回目のとき往ったのだが……そのときの、想像を絶する悲劇のさまを君に話したい。
……しかしどこかからきこえて来た軽はずみな口笛がいまのソナタに何
回も繰り返されるモティイフを吹いているのをきいたとき、私の心が鋭い嫌悪にかわるのを、私は見た。
ただ溪間にむくむくと茂っている椎の樹が何
回目かの発芽で黄な粉をまぶしたようになっていた。
我等皆心織筆耕の徒、市に良驥の長鳴を聞いて知己を誇るものに非ずと雖も、野に白鶴の廻飛を望んで壮志を鼓せること幾
回なるを知らず。
予は此の停車場へ降りたは、今夜で三
回であるが、こう真暗では殆んど東西の見当も判らない。
その度に譲吉は、夫人から受くる恩恵に狎れて、純な感謝の念が、一
回毎に、薄れて行かぬよう、絶えず自分の心を戒しめて居た。
その声はどんな雨の日にも風の日にも、これだけは欠くることなく正確に一日に朝晩の二
回は聞くことができた。