然し八十円の
報酬に目がくらんで、番人を希む者は絶えた例がないと言ふ。
ある年の冬番人を置いてない明別荘の石段の上の方に居処を占めて、何の
報酬も求めないで、番をして居た。
主人は、好きな道を役立てて歌舞伎の小道具方の相談相手になり、デパートの飾人形の衣裳を考証してやったり、それ等から得る多少の
報酬で学費を補っていた。
そして、その印税も編集を手伝った二、三子に分たれたので、芥川としてはその労の十分の一の
報酬も得られなかったくらいである。
別に老人が乞うたわけではない、いわばこの「砂書き老人」の当然の
報酬であったのだろう。
それに受持以外に課外二時間宛と來ては、他目には勞力に伴はない
報酬、否、
報酬に伴はない勞力とも見えやうが、自分は露聊かこれに不平は抱いて居ない。
そしてそれは同時に従業員の
報酬に対する無言の示威運動でもある。