以上ハ災後二三ヶ月以内ニ著者ノ手許ニ集ツタ材料ノ
大要デアル。
これから、その記録を読みながら、討議の
大要と議場の空気とを写すことに努めてみよう。
即ち先生平素の言行に基き、其
大要を述べて、先生の閲覧を乞ひ、之を修身要領と名け、学生に示すこと左の如し。
ドイツの Richthofen は古代に於ける漢族の發展に就いて、
大要次の如き見解を下して居る(1)。
明治年間に於ける我が國の發展は、多方面に渉つて居るが、東洋史の立場から觀ると、
大要左の五項に概括し得ることと思ふ。
こは格別耳新しい事ではないが、斯に前賢の所説を補綴して、紙の歴史の
大要を紹介いたし、聊か『藝文』寄稿の責を塞がうと思ふ。
我には何も分らないとなつた處で、一切の事を擧げて、悉く之を如來に信頼する、と云ふことになつたのが、私の信念の
大要點であります。
この古碑出土の状況を、尤も早く尤も詳しく世間に通告した、セメド(Semedo)といふ宣教師の作つた『支那通史』には、
大要左の如く記載してある(8)。