品評会場・人事相談所・
嬰児委托所などには、どうやら使はれ相な気運に向いて来た。
「
嬰児殺し」「同志の人々」「坂崎出羽守」等は前者に属し、「女中の病気」「海彦山彦」「西郷と大久保」等は後者に属してゐる。
赤児は生まれてからまだ二タ月か三月しか経つまいと思われるぐらいの
嬰児であったが、その上顎の左右には一本ずつの牙が生えていた。
主よ、是等の
嬰児は皆破船の憂目を見て、追つてモハメットの宗門に渡される。
それより悔改をなし、贖罪符をうけて僧院を去れるも、帰途船中黒奴はゴアにて死し、
嬰児はすぐせと名付けて降矢木の家を創しぬ。
産婆の膝許には血の気のない
嬰児が仰向けに横たえられていた。
まことに集中の手紙にある久保謙君の処女習作「朝」の中の「乳母車にのせられた
嬰児」が今はこごしく障害と汚染にみちた社会的現実に立向かい、闘いつつあるのである。