諸の谷は埋られ、諸の山と崗とは夷げられ、屈曲たるは直くせられ、
崎嶇は易くせられ、諸の人は皆神の救を見ることを得ん
修業中の小次郎法師が、諸国一見の途次、相州三
崎まわりをして、秋谷の海岸を通った時の事である。
此島人が信じてゐる最初のやらはれ人百合若大臣以来、島の南に向いた
崎々には、どの岩も此岩も、思ひ入つた目ににじむ雫で、濡れなかつたのはなからう。
門の裏側の若蔦の群は扉を横匍ひに匍ひ進み、
崎と
崎にせかれて、その間に干潮を急ぐ海流の形のやうでもあり、大きくうねりを見せて動いてゐる潮のやうでもある。
「その時蜑
崎照文は懐ろより用意の沙金を五包みとり出しつ。
先に立った足健康の従者が高く振りかざす松火の光で、
崎嶇たる山骨を僅に照らし、人馬物言わず真向きに走る。
なつかしや御堂の松翠愈々深く、鳴鶴ヶ
崎の浪蒼くして、新宿の濱、羅の雪を敷く。
ここはかねて聞いていたさの字浦で、つの字
崎の片すみであった。
といひける間に鹿兒の
崎といふ所に守のはらからまたことひとこれかれ酒なにど持て追ひきて、磯におり居て別れ難きことをいふ。