日本の歴史は、語部と言われた、村々国々の神の物語を伝誦する職業団体の人々の口頭に、久しく保存せられていた
律文が、最初の形であった。
日本の歴史は、語部と言はれた、村々国々の神の物語を伝誦する職業団体の人々の口頭に、久しく保存せられて居た
律文が、最初の形であつた。
唯、其相聞贈答の短歌を中心に、多少
律文学の歴史に言ひ及すことは、免されて居る、と思うてもよさ相である。
けれども、後世の淵酔の郢曲類を参照すれば、公式のものが其で、其他に崩れとして、国文脈の
律文を謡つた事は推定してよい様だ。
神祭り以外の事としては、神の信仰に関する事、是等は総て
律文で伝へられて居る。
律語形式が神語の為に択ばれたのではなく、神語なるが為に、
律文式発想を採らなくてはならなかつたのである。
しかし、映画の本質と結びついた、或は、映画の本質を本質とするやうな、新しい韻
律文学の一形式が生れるであらうことは予想できる。
単に象徴性能のある言語や詞章を求めれば、日本古代の豊富な
律文集のうちから探り出すことはそう困難なことではない。