すさのをのみことが、青山を枯山なす迄慕ひ歎き、いなひのみことが、波の穂を踏んで渡られた「妣が国」は、われ/\の
祖たちの恋慕した魂のふる郷であつたのであらう。
なんといっても、この時代の作で最も有名なものは『捜神記』で、ほとんど後世の小説の
祖をなしたと言ってもよろしいのです。
時の副将車、紀飯麻呂この地に到り、祭壇を設けて紀氏の
祖を祀りしに創れりと伝ふ。
依羅氏は、新撰姓氏録摂津国皇別に、依羅宿禰の条に、日下部宿禰同
祖、彦坐命之後也とあり、又、河内国諸蕃、依羅連の条に、百済国人素弥志夜麻美乃君之後也とある。
一木一草そよ吹く風すら、遠つ御
祖の昔思い偲ばれて、さだめしわが退屈男も心明るみ、恋しさ慕かしさ十倍であろうと思われたのに、一向そんな容子がないのです。
その内外の二
祖、咸な当時の魁儒たるに因り、希哲の文、典訓を貫綜し、古今を茹涵す。
又、用明天皇の皇子にも當麻公の
祖麻呂子皇子がある(以上日本紀)。
支那の記録にはミシアといふ言葉に、彌尸訶(『貞元新定釋教目録』)、彌施訶(大秦景教流行中國碑)または彌失訶(『佛
祖歴代通載』)などの漢字を充てて居る。
佛
祖歴代通載の第十七卷には、天寶年間丙戌の記事として前文と大同小異の文が載せてある。