だが其後、をり/\の
感じといふものがあつて、これを書くやうになつた動機の、私どもの意識の上に出なかつた部分が、可なり深く潜んでゐさうな事に気がついて来た。
よさせる方法がない、それを防ぐためにもつと新派を離れたものを、早く言うと現代的というか、あるいは西欧的な一つの形でゆく、そういう
感じとか表現をつけさせる。
もしそれを、自分の眼で発見し、自分の心で
感じとるのでなければ、なまじっかな説明は無益であると、私は信じた。
Uの私に対する愛情は、たゞ正常でないといふだけで、その程度はいつも間違ひなく私には
感じとれるやうな気がする。
さういふ風に昔の人が、月夜見命などゝいふ神典の上の神の
感じとは別に、月の神を
感じて居り、その月の神に花をさしあげるのが、月見といふのです。
が、その緊張した
感じと前後して、一種の弛緩した
感じが——云はば、来る可きものが遂に来たと云ふ、安心に似た心もちが、通りすぎた事も亦争はれない。
だが其後、をり/\の
感じといふものがあつて、これを書くやうになつた動機の、私どもの意識の上に出なかつた部分が、可なり深く潜んでゐさうな事に氣がついて來た。