基督いわずや、わが天に在す父の旨を行う者はこれわが兄弟わが姉妹わが母なりと、人誰か父母なきを
憂いん。
八月になると旱つづきで、さなきだに水に乏しいここら一帯の居住者は、水を
憂いずにはいられなくなった。
併し警視庁の命令によって、釜前は石造または煉瓦作りとなったので、出火の
憂いは頗る減少した。
然し、私にとっては、はじめて見た顔ですけれど、明かに、はげしい
憂いの表情が読まれました。
三年の後呉先生の帰朝されて再たび面会された時、相互のその喜びその
憂い誠に如何であったろうか想像に余りあることである。
「ああ、貴女が河内園長のお嬢さんのトシ子さんでいらっしゃいますか」帆村は夕刊で、
憂いに沈む園長の家族として令嬢トシ子(二〇)の写真を見た記憶があった。
憂いの眉を持ったこの乙女の、声は清らかに、鈴を振るようであった。
悲しみ、ほほえみ、喜び、
憂い、その場その場により、その時その時に従って、無限の表情が流露して尽くるところがありません。
さて俗語に苦は楽の種、楽しみ極まって
憂いありと申しますが、苦労をなすったお方でなければ只今、お楽になって入らっしゃるものはございません。