お
手本がなければ、どうにもならず、お
手本のクダラナサを疑ることなど毛筋ほどもないのである。
書き方の
手本には名詞ばかり集めてあるか、または、名詞を多く含んでいる往来物を書いている。
また、その頃四条の通りに夜店の古本屋が出て居りましたが、その中から絵の
手本のようなものを時々見受けてきて、私に与えて下さいました。
金紋葵のだしに、緋のばれんをつけた家康の馬印は、後世のまといの
手本とも言ふべき物である。
しかし世間ではやはりかういふ「お
手本」を鵜呑みにして、内心はともかく、表面だけはそのお
手本のやうに取りつくつて、大きな顔をするといふ傾向があるやうです。
とは少時漢詩なるものを作らせられた時度たびお
手本の役をつとめた李九齢の七絶である。
大師の如き、千歳の下に日月とその光を爭ふ所の偉人を仰いで、修養の
手本とするのが、極めて安全と思ふ。
それ等の偉人の事蹟は、何かの點に於て吾人修養の
手本にもなれば、同時に支那に於ける文化發展の記念碑とも認めることが出來ると思ふ。