私の少年時代の玩具といえば、春は紙鳶、これにも菅糸で
揚げる奴凧がありましたが、今は廃れました。
オカミサンが碁に凝って増淵四段に師事して以来、女中に至るまで碁をうち、ついに「碁の旅館もみぢ」という異様な看板を辻々へ
揚げるに至った。
六月一日の鮎漁解禁に、白泡を藍風に
揚げる激湍の岩頭に立って竿を振る人々が、昨年よりも一層数を増したのも当然のことと思う。
時によると不運な若者は、焼太刀のように日を照り返した河の中へ転げ落ちて、眩ゆい水煙を
揚げる事もあった。
ことに新鮮な鮎をフライに
揚げるなどは、愚の骨頂と言うべきだ。
男の児は紙鳶といって凧を
揚げるというのが春の遊びで、どこともなく陽気なものでございます。