白い
割烹服が真赤に染み、丸髷が崩壊した格好は如何な大盡にも見れない見世物だった。
売り込み先は
割烹旅館、特に寿司屋を当てにして新潟・福島・秋田などからたくましくも行商に来ていた。
割烹というのは、切るとか煮るとかいうのみのことで、食物の理を料るとはいいにくい。
であるから、蝶子夫人は娘の時代から父君に指図されて、すっぽんの
割烹に経験を積んできた。
魚獣の佳味、美器の艶谷を誇ったところで、野菜の点彩がなければ、
割烹の理に達したとはいえないであろう。
朝起きて晩寝るまで、立つてゐる時は
割烹著をつけ、坐つてゐる時は指抜きをはめてゐる。
だからあたしも世間並みに、裁縫をしたり、
割烹をやったり、妹の使うオルガンを弾いたり、一度読んだ本を読み返したり、家にばかりぼんやり暮らしているの。
加之何事にも器用な人で、
割烹の心得もあれば、植木弄りも好き、義太夫と接木が巧者で、或時は白井様の子供衆のために、大奉八枚張の大紙鳶を拵へた事もあつた。