丸善の店も隣りの洋服屋も表掛りが僅かに残ったゞけで、内部は煙が朦々と立罩めた中に
焼落ちた材木が重なっていた。
夜店の二銭のドテ
焼(豚の皮身を味噌で煮つめたもの)が好きで、ドテ
焼さんと渾名がついていたくらいだ。
部屋の寝台は、片隅に押しつけられ、床には棒をさし込んで、ぐいぐい引張ったらしい痕もあり、スパンナーやネジ廻しや、アセチレン瓦斯の
焼切道具などが散らばっていた。
せっかくここまで来たんだもの、せめて
焼灰でもみておかないと、わたしゃ御先祖さまに申しわけないからね」
しかし古着屋の店を眺め、脂臭い
焼パンをかじり、「ホット(あたたかい)サンドウィッチ」を見ると、「妻よ妻よ恋し」と云う言葉はおのずから唇に上って来るのだった。
蕎麦屋と云っても、池にむかった座敷へ通されて、老人が注文の椀盛や刺身や蝦の鬼がら
焼などが運ばれた。
只戦争に行つたので、首と左の足とは
焼接ぎで直してある。
所が三月十四日のこと、前夜の濃霧の名残りで、まだ
焼色の靄が上空を漂うている正午頃に、その橋を、実に憂欝な顔をして法水麟太郎が渡っていた。