青やかな楚枝に、莟の梅が色めいて来ると、知多院内の万歳が、山の向うの上国の
檀那親方を祝き廻るついでに、かうした隠れ里へも、お初穂を稼ぎに寄つた。
数個の邑落と交渉を生じ、更に幾つとも知れぬ
檀那村を生じて、祝福を職業とする乞食者となつて行つたものもある。
島の内船場の大
檀那の生ませた子ということになっているが、源之助の容貌を見ると、大阪の中村宗十郎とどうも似て、下顎の少し張った美しい顔をしている。
のみならず同伴の外国人の男女と(その中には必ず彼女の
檀那の亜米利加人も交っていたのであろう。
僕はまだ日本にいた時、やはり三人の
檀那と共に、一人の芸者を共有したことがあった。
さりながら論語に唾を吐きて梅暦を六韜三略とする当世の若
檀那気質は其れとは反対にて愈々頼もしからず。
それから私たち三人の者は、ご上人様のご懇意の
檀那で、御谷町三条上ルに住居しておられる、竹原好兵衛様というお方のお家へ、落ち着きましてございます。
「どうせあたしは
檀那衆のやうによくする訣には行かないんだから。