しかし、さて、ドロ棒がこの文を読むかどうかといふ段になると、鉄クヅを
盗むかれらはおそらくこの文を読まないだらうと考へられる。
盗む物の有る筈のない僕の庵をねらふとは御苦労な泥棒があるもので、泥棒に会はせる顔がなかつた。
即ち彼は彼女に宝石を
盗むことを教え、彼女の持って来た宝石をどしどし買うのであった。
そこが昔と今とは人情の違うところで、いくら悪い奴でもお開帳の奉納物を
盗むなぞという事はあるまいと油断している。
只僕は捉へ次第、北原君の蔵家庭を盗み得るに反し、北原君は僕より
盗むものなければ、畢竟得をするは僕なるが如し。