ところが、どうした事か、夏目さんとは百年の
知己の如しであった。
ちょうど、そこに立って、電車を待合わせていたのが、舟崎という私の
知己——それから聞いたのをここに記す。
維新の当時、おてつ牡丹餅は一時閉店するつもりで、その形見と云ったような心持で、店の土瓶や茶碗などを
知己の人々に分配した。
だから二人は知り合ってから、まだ一年と経たないのに十年来の
知己よりも親しく見えた。
とにかく、杉浦のような小僧あがりの写真師が、M侯爵と
知己になるなんて、全く侯爵が平民的ないい人だからです。
この通は、渠が生れた町とは大分間が離れているから、軒を並べた両側の家に、別に
知己の顔も見えぬ。
親のために、子のために、夫のために、
知己親類のために、奴僕のために。
我等皆心織筆耕の徒、市に良驥の長鳴を聞いて
知己を誇るものに非ずと雖も、野に白鶴の廻飛を望んで壮志を鼓せること幾回なるを知らず。
大叔父は所謂大通の一人で、幕末の芸人や文人の間に
知己の数が多かつた。