そして當然僕の生涯の
絃の上には、倦怠と懶惰が執ねくもその灰色の手をおいて、無韻の韻を奏でてゐるのである。
焉馬、三馬、源内、一九等の著書を読む時に、われは必らず彼等の中に潜める一種の平民的虚無思想の
絃に触るゝ思あり。
彼等は節義を説けり、善悪を説けり、然れども彼等の節義も、彼等の善悪も、寧ろ人形を并べたるものにして、人間の根本の生命の
絃に触れたる者にあらざるなり。
然れども凡て是等の変遷を貫ぬける一条の
絃の存するあるは、識者の普ねく認むるところなり。
知的の
絃が主なる樂旨を奏するやうになつたのである。
抒情詩の境に言ひ及びては切りに熱情を称す、天火一度胸に燃えてこそ、幽玄の琴
絃初めて高調を弾するに堪へたれ。
そして当然僕の生涯の
絃の上には倦怠と懶惰が灰色の手を置いているのである。