だが、実見者の大阪落城
絵図では、外見五重になっているから、外見五重で内部は八重になっていたのであろう。
あの坂の名は汐見坂というのだそうですが、坂の中途に団子屋があるので、いつか団子坂と云い慣わして、江戸末期の
絵図にもダンゴ坂と書いてあります。
水の音がどんどんと響くからどんどんというので、江戸の
絵図には船河原橋と書かずにどんど橋と書いてあるのもある位です。
「京都の近所にも同じような故蹟があるそうですが、江戸の
絵図にもこの通り記してありますから嘘じゃありません。
欄干の木組が十文字のぶつちがひになつた構造は、古くは日本橋も黒塗りの木組で
絵図にさう写されてゐるし、大川筋の永代橋、大橋、両国橋など皆、同じ形式で出来てゐる。
嘉永それの年に鐫られたる本所
絵図をひらきたまはば、土屋佐渡守の屋敷の前に小さく「芥川」と記せるのを見たまふらむ。