少くとも「のて」の
臭味を帯びず、「まち」の特色に富みたるものを我久保田万太郎君と為す。
いくぶん調子を和らげるために、一度前の選集に入れたものを少し加へてみたが、それでも、全体を纏めて読み返してみると、一種十八世紀的
臭味が鼻をつくのである。
近代人の思想も感情も神経も、その生活一切は、今日の職業俳優には畑違ひであつて、少くとも、その演技の基調は、封建的乃至鎖国的
臭味で一貫されてゐるからである。
僕はいつか西廂記を読み、土口気泥
臭味の語に出合った時に忽ち僕の母の顔を、——痩せ細った横顔を思い出した。
併し何れも訳語や文体は仏蘭西
臭味を漂はせた、まづ少年読物と云ふ水準を越えないものばかりである。
研究会で、理論闘争をやるほどのものではないにしろ、なお、その
臭味がある。
彼の「維氏美学」の如き、「理学沿革史」の如き飜訳でも、少しも直訳の
臭味と硬澁の処とを存しない。