行先は東京の文科であり、東京へ出たら必ず私達で雜誌を作らうといふ氣持が云はずして釀されてゐた。
「いづこへ」といふ題の小説は他の作家にも数種あつて、まぎらはしいといふ話でしたが、現在の私自身、いづこへ行くのやら、わが
行先が分らない。
「せっかく、救けて頂いたようなものの、
行先の覚束なさ、途中の難儀、もう一足も踏み出す勇気はございません。
「
行先は、今も申したように、スパイを警戒いたして申せませぬ。
実に我が
行先は何処で、自から問ふて自から答へることが出来なかつたのである。
その名をぬひと呼ぶと聞きて、
行先人の妻となりてたちぬひの業に家を修むる吉瑞ありと打ち笑ひぬ。
まもなく風は小歇みになり、路上の浮塵はキレイに吹き払われて、
行先きには真白な大道が一すじ残っていた。
この
行先はひたすら広大にのみなりゆきて、彼の一切の路を堰き止めた。