此言語解釈法が根柢から
謬つて居る如く、誤りを等しくして居る思想史や、文明史は、変つた考へ方から、すつかり時代の置き換へをして見ねばならない。
判然と言ひわける事は、却て不自然で、
謬つた結果に陥る訣なのである。
しかりといえども水の微冷なるものを見て湯と誤り湯の微熱なるものを見て水と
謬ることはすなわちあるいはこれなしと言うべからず。
且、人の天分にはそれそれ自らなる相違あり、強ひて自己の感覚を尺度として他を律するは
謬なるべし。
この書はたとい思想的に未熟と誤
謬とを含んでいる場合にも、純一ならぬ軽雑な何ものをもインフェクトせぬであろう。