此言語解釈法が根柢から
謬つて居る如く、誤りを等しくして居る思想史や、文明史は、変つた考へ方から、すつかり時代の置き換へをして見ねばならない。
判然と言ひわける事は、却て不自然で、
謬つた結果に陥る訣なのである。
この言葉は逆説の如く、又誤
謬の如く感ぜられるかも知れないと思ふ。
しかりといえども水の微冷なるものを見て湯と誤り湯の微熱なるものを見て水と
謬ることはすなわちあるいはこれなしと言うべからず。
且、人の天分にはそれそれ自らなる相違あり、強ひて自己の感覚を尺度として他を律するは
謬なるべし。
私は、時間といい、また空間という、仮定された思想のために多くの人々が、生活を誤
謬の淵底に導きつゝあることを知った。
夫子が強ちに爾き道義的誤
謬の見解を下したるは、大早計にも婦人を以て直ちに内政に参し家計を調ずる細君と臆断したるに因るなり。