だから、この書き加へは、文学の本質的な理論にふれたものではなく、たゞ世俗的な
面白さ、興味、読者が笑ふやうなことばかり、さういふ効果を考へてゐるのである。
が、私の感服したのは、単にそれらの芸術品を模し得た
面白さばかりではない。
また叙事詩は、小説の
面白さのもつてゐない、
面白さ、良さがあり、感情的な高さに於いても、詩は散文の比ではありません。
男達が、肌を抜いて歌ったり、踊ったり、蛇皮線を弾いたりして居る周囲には、女達が集って来て、それを
面白さうに眺めて居た。
するとまた不思議なことには、どんな鳥獣や草木でも、笛の
面白さはわかるのでしょう。
だが、そう見えるところに春の毒素の
面白さがあるのだ。
そこで夙に覬覦の心を懐いてゐたといふことは、
面白さうではあるが、正統記に返還して宜いのである。
雪子もお兒も如何にも
面白さうに笑ひながら※を見て居る。
それには筋の
面白さとか、僕自身の生活に遠いこととか、或はまた僕自身の生活に近いこととか云ふことも勿論、幾分か影響してゐるだらう。
工事を——といつた所が、唯トロツコで土を運搬する——それが
面白さに見に行つたのである。