聖書の内容を生活としっかり結び付けて読む時に、今でも
驚異の眼を張り感動せずに居られません。
それだけでも、「冥路の国」は興味津々たるものなのに、一度折竹の口開かんか、そういう
驚異さえも吹けば飛ぶ塵のように感じられる。
そして当時の埃及人が一年を三百六十五日に分けてゐたことも亦、一つの
驚異に値することである。
古代の人が
驚異したのに無理はないが、今日はバッチェット方法、ポイグナード方法、その他の方法を知れば、随分大きな魔方陣でも列べ得ること容易である。
その上彼等が尊敬し来った長老達が、四郎を礼拝する有様を見ては、
驚異の念は次第に絶大の尊崇に変った。
これは文壇の現象としてはかなり唐突だったので、文人諸家は
驚異に近く瞠目したし、読者側ではどよめき立って好奇心を動かし続けた。
若い農夫は
驚異の眼を※り、ほっと溜め息を吐くようにして、猟銃を自分の足許に立てた。
そして、嘉三郎は、
驚異の眼を※りながら、大急ぎで封を切った。
三枝子は
驚異と、一種の恐怖とを感じないではいられなかった。
ちょうど、夏川の水から生まれる黒蜻蛉の羽のような、おののきやすい少年の心は、そのたびに新たな
驚異の眸を見はらずにはいられないのである。