上に掲ぐるは緑雨の肖像なり、去三十四年小田原養痾中の写真なり、眉目の間、如何に
天才のきらめけるかを見よ、されど今は亡し。
私は然し、終戦後に劃期的な新風をもたらした
天才児は、横山泰三だろうと思う。
何故と云へば私の知つてゐる限りで、屡諸君子の間に論議される
天才の名に価するものには、まづ第一に龍村平蔵さんを数へなければならないからである。
無名の芸術家でも、その芸術的向上心において、芸術的良心において、決して
天才の士に劣っているわけはないのだ。
逞しい
天才の仕事の痕、——そんな気も迫って来ないのではなかった。
爪のない猫! こんな、便りない、哀れな心持のものがあろうか! 空想を失ってしまった詩人、早発性痴呆に陥った
天才にも似ている!
芭蕉は彼等のやうに
天才的だつたと共に彼等よりも一層苦労人だつた。
ヨハネの伝へたクリストはマコやマタイの伝へたクリストのやうに
天才的飛躍を具へてゐない。
勝つ者は青史の天に星と化して、芳ばしき
天才の輝きが万世に光被する。
そうして「詩人」とか「
天才」とか、そのころの青年をわけもなく酔わしめた揮発性の言葉が、いつの間にか私を酔わしめなくなった。