もとより巨額の公債を有し、衣食に事欠かざれば、花車風流に日を送りて、何の不足もあらざる身なるに、月の如くその顔は
一片の雲に蔽われて晴るることなし。
皿に載せた
一片の肉はほんのりと赤い所どころに白い脂肪を交えている。
人間の生活とは畢竟水に溺れて
一片の藁にすがらうとする空しいはかない努力ではないのか。
これは、必ずしも
一片の挨拶や、固苦しい論議によつて得られるものではありますまい。
最も膚に親しき衣なり、数百金の盛装をなす者も多くは肌着に綿布を用ふ、別に袖もなし、裏はもとよりなり、要するにこれ
一片の汗取に過ぎず。
譬ひこれが閨秀たるの説明をなしたる後も、吾人
一片の情を動かすを得ざるなり。
「北※山頭
一片の煙となり、」——僕は度たび「安国寺さん」のそんなことを言はれたのを覚えてゐる。
身につけるものではないが、例えばマイヨオルの彫刻はせいぜい銅か土の固りであり、「信貴山縁起」は一巻の長い紙であり、名工の茶匙は
一片の竹であるに過ぎない。