なぜなら、平作の言葉の様子ではまるで二十前後の
不良少年を勘当する話のようにうけとれるが、実は不二男は当年三十三にもなっている。
私は中学生のころ学校所在区の
不良少年の群れに親しまれ好んで彼等と交つてもゐたが、私自身は
不良少年ではなかつたのです。
九州になんとか中学と云つて
不良少年ばかりの中学があるさうだが、そこを又追ひ出された荒武者が、この東京の中学へやつてくるのださうである。
私はこの
不良少年の中学へ入学してから、漠然と宗教にこがれていた。
ゆうべはどこに泊つて、どこで飯を食つて——さう思ふと、私には唯
不良少年の場合のみ慘めに聯想された。