早春、崖の南側の陽だまりに、蕗の薹が立つ頃になると、渓間の
佳饌山女魚は、俄に食趣をそそるのである。
支那でも盛んに食い、中央亜細亜方面では
佳饌のうちに加えられてある。
たゞ其の三者の
佳致を併有して、一編の奇話を構成するところは、女仙外史の西遊水滸三国諸書に勝る所以にして、其の大体の風度は平妖伝に似たりというべし。
欧陽公之を嘲りて云ふ、句は則ち
佳なるも、夜半は是れ打鐘の時にあらざるを如何せんと。
幾先云ふ、只だ是れ君が記得熟す、故に五月を以て勝れりと為すも、実は然らず、止だ六月と云ふも亦た豈に
佳ならざらんや、と。
能く何物にも犠牲たらざるものは、人間として何の
佳趣をも備へざる者なり。
翌四十一年に至り東洋学芸雑誌上に於て三宅秀博士の論文を読みたるに
佳味が食物の消化を促進することを説けるに逢へり。
其の癖、
佳薫のする花だと云つて、小さな枝ながら硝子杯に插して居たのがあつた。
不勉強が
佳なる詩歌を得る因にはならぬが、たゞ當面の勉強のみに因つて
佳なる詩歌が得らるゝものでは無い。