いかにも文明国の、そして自由な新時代の女性としての
公平なポーズ(姿態)だと思いました。
公平に見て、会社側のいい分には、たしかにもっとも千万のところがある。
要するに人間には社会生活の秩序が必要であるが、秩序は必ず犠牲をともなうもので、この両方を秤にかけて
公平に割りだすやうな算式が発見される筈はない。
見込みの外れた口惜しさもあり、長々の損失の腹イセもあって、
公平な判断はゆがめられているからである。
実際又
公平なるものは生憎僕には恵まれてゐない、——と云ふよりも寧ろ恵まれることを潔しとしない美徳である。
公平で、正直で、謙遜で、判断力に富んでいると同時に、又絶大の同情心にも富んでいた。
が、今すべての成心を去って、
公平に自分自身を考えると、俺は創作家として、なんらの素質も持っていないように思われる。
葉子という女性は、時によっては非常に執念深く私情に駆られるが、時によってはまるで別人のように
公平で淡白な性質も持って居る。
又實際
公平に論じても、當時西洋文明の程度が支那に優つて居たとも思へない。