言語の自然な定義変化のほかに、死語・
古語の合理解を元とした擬古文の上の用語例、こういう二方面から考えてみねば、古い詞章や、事実の真の姿は、わかるはずはない。
一つは、純然たる日本の
古語を保存しようとする努力。
薄田氏の
古語を用ひたのは必ずしも柿本人麿以来の古典的情緒を歌つたからではない。
其時代の言葉と、
古語とを調和させた、鵺のやうな言葉が多いのである。
つまりは、老若制度から出た社会組織上の
古語であつたらしいのです。
記・紀若しくは、祝詞などを見ると、中には、
古語・神語などいふべき古い語が、随分ある。
言語の自然な定義変化の外に、死語・
古語の合理解を元とした擬古文の上の用語例、かう言ふ二方面から考へて見ねば、古い詞章や、事実の真の姿は、わかるはずはない。
実際、
古語にも「可愛い子には旅をさせろ」というが、それと同じく、小説を書くには、若い時代の苦労が第一なのだ。
古語に居は気を移すとあるが、居所に依つて気分の異なるは事実である。
古語は使はんでも萬葉調であるがいい、それと反對である。