かくて我が国でも、いつしかその文字に重きを置きてこれを音読し、さらにその発音を
和らげてニホンと呼び、双方並び行われて今日に及んでいるのである。
いくぶん調子を
和らげるために、一度前の選集に入れたものを少し加へてみたが、それでも、全体を纏めて読み返してみると、一種十八世紀的臭味が鼻をつくのである。
「それで
和がりだ」と叫んで、自分の手を開けてみせたのは、「豆シャン」と綽名のある美少年園部壽一だった。
みんなは、おじいさんの目の下の黒子のある笑顔を見ると、どんなに腹がたっていても急に
和らいでしまって、その笑顔につりこまれて自分まで笑うのでありました。
吉田は胸のなかがどうにかして
和らんで来るまでは否でも応でもいつも身体を鯱硬張らして夜昼を押し通していなければならなかった。
吉田は胸のなかがどうにかして
和らんで来るまでは否でも応でもいつも身体を鯱硬張らして夜昼を押し通していなければならなかった。
和の宮様御下向の時、名を賜はつたと云ふ石燈籠も、やはり年々に拡がり勝ちな山吹の中に立つてゐた。
どうしたのかと思って、書斎の方へ行くと、入口の所に
和辻さんや何かが二、三人かたまっていた。
デンマークは
和を乞いました、しかして敗北の賠償としてドイツ、オーストリアの二国に南部最良の二州シュレスウィヒとホルスタインを割譲しました。